徳島大学 合気道部

2015年 気流

◎桃太郎
 徳島大学合氣道部師範 内田 進

 最近、桃太郎さんの物語の悪口をよく聞くので、合気道家として、岡山県民として昔話を現代の価値観でけなすのは良くないということを申し上げようと思う。
 まずは桃の実について。古事記から。
黄泉の国に逝かれたイザナミノ命に会いに行かれたイザナギノ命は、イザナミノ命の姿をごらんになると、その姿のすさまじさに驚き、逃げ帰られた。イザナミノ命はその姿を見られたことを憤り、軍勢をもって追わせた。イザナギノ命はかづらを投げ、櫛をなげ、剣を後ろ手にふって懸命に逃げたが、なお追って来て黄泉国と限界の境に来かかった。その時、イザナギノ命が桃の実を三つとって投げ打たれると、黄泉国の軍勢は悉く逃げてしまった。(「武産合氣」高橋英雄編著)
最初から桃の実を投げればいいなどと言ってはいけない。如何様にしても追い払うことの出来ない魑魅魍魎の恐ろしいまでの力を知っておかないと、その軍勢を一瞬にして駆逐する桃の実の霊力の凄さが伝わらない。
節分で投げる豆も桃の実の代用である。とある人の言う「桃の実を投げたら大変なことになるから」神社で桃の実の霊力をうつしてもらった豆をまくそうである。
桃太郎は、桃の実の霊力の象徴とみていい。桃から生まれたのだから、本体は桃の実である。
 旅に出るのは鬼がいるという鬼門、丑寅(北東)の方角。なので鬼はウシの角とトラ皮のパンツを穿いている。禍、穢れの象徴と言ってよい。
 その反対の方角にあるのが、申、酉、戌。これが猿、キジ、犬のお供。古来日本では鬼門の方角に猿の置物をおいて鬼門を封じたりする習慣がある。
 きび団子。桃の霊力をもって禊払うことによって、五穀豊穣を約束したのではないかと思う。五穀の象徴としてのきびである。余談として、昔々穀類のことを「はか」と言い。収穫することを「はかどる」不作を「はかない」と言ったらしい。
 山へ柴刈りへ行くおじいさん、川へ洗濯に行くおばあさん。歳をとってもっ働ける喜びを教えてくれる。桃太郎を授かるのは長寿の祝い。川が出てくるのは、素戔嗚尊を連想させる。

 この世の罪穢れを桃の実の霊力によって禊払う、桃太郎はそんな物語として語り継がれれば良いだけのことだと思う。
開祖植芝盛平は言う「黄泉の軍勢を追いはらった桃の実が合気道である」と。

◎体を使うこと
 徳島大学合気道部顧問 三輪 昌史

 私たちは日常生活で何気なしに(意識せずに)体を動かして生活しています。眠りから覚めて起き上がる、歩く、座る、物をつかむ、食べるなど、行動を意識することはありますが、行動を行う動作自体を意識することはほとんどないと思います。このように意識せずに行える動作ですが、ほとんどの動作は訓練されてから身に付いたものです。箸の使い方、字の書き方は訓練で覚えます。自転車や自動車の運転もそうです。また、キーボードのブラインドタッチなどもそうですね。
 訓練で覚えた動作は、訓練中は意識して体を動かしていますが、そのうち意識せずに行えるようになってきます。繰り返すことで動作が学習され、意識せずに行えるようになります。箸の使い方を練習していた時のことを思い出してみると、苦労しながら食事をしていました。今では意識せずに箸を使ってご飯を食べています。自転車の練習もそうですね。倒れないようにバランスを取ることを考えて練習していました。運転できるようになって、徐々にバランスについて意識することは減りました。
 さて、日常生活において意識せずに動作を行えることは非常に重要ではないか、と思います。意識せずに動作を行えるようになると、動作を行いながら別の作業を行うことができるようになります。例えば、歩きながら他人と会話ができます。キーボードを叩きながら、または鉛筆で下書きをしながら文章を推敲・書くことができます。一方、良くない例としては、車の運転に慣れてくると、考え事をしながら運転を行い、気が付くと家についていたりします。このように意識しないで行える動作は重要ではありますが、場合によっては危険な場合もあります。
 合気道の稽古も、体の動作を意識して稽古を行うわけですが、慣れてくると無意識に技の動作を行う様になってきます。このとき、正しい動作が行えていればよいのですが、皆さんいかがでしょうか。なれてくると、体は負荷が小さくなるように動作を最適化するようです。そうすると、正しい技にはなりません。かといって、正しい動作を行うために、考えすぎて、技に入れなくなってもいけません。技の要点を意識しながら稽古を繰り返し、正しい動作を学習する必要があると思います。


◎『気』の探求(3)
 徳島文理大学 生島 博之

 心理療法において大切なのは、「やる気がでない」「無気力」「気が向かない」「気(息)がつまる」「気(息)が乱れる」「その場の空気に流される」「しらける(白い気が立つ)」等で苦しんでいるクライエントに対する共感的理解であるが、その過程において重要なのは『流れ』であり、同様に合気道においても『気の流れ』の日々の鍛錬が重要である。
 古武道の実践家の甲野先生は若き日に、「人間の運命は決まっているのか、いないのか」という問題に煩悶したすえに、身体を通じて実感したいと思い武道を学び始める。そして、生きるか死ぬかが一瞬の行動によって決せられる場面こそが、運命と自己決定という矛盾する二面が同時に鮮やかに顕在化する場であり、その場での振る舞い方としての『技』を探求する。その末、「運命は決まっているが、同時にまったく自由である」という結論にたどりついたとのことである。そして、この『運命』と『自由』という矛盾する課題は、心理療法の過程においても重要な『流れ』として顕れることが多いのである。
 一方、合気道において『気の流れ』を鍛錬する上でまず重要なのは、「身体は液体である」ことを体現した動き(技)の反復練習である。今日の私たちは、人間の身体をまず固体的・部品的にイメージしてしまうが、例えば「血」を、「血圧」や「血液型」という考え方でなく、「血潮」や「血色」ととらえることにより、息はつながり気は流れているという考え方に通じるようになるのである。
そして次に重要なのは、自分がこれから仕掛ける技を『気取られない』ようにする心得であり、これを実践するためには、相手の『気配』を素早くかつ的確に『気づく』ことが重要である。この点は、人間という生物は、昔は妖気や殺気などの『気配』を読むことに長けていなければ生き延びることができなかったことを思い起こすと理解できる。
 さて、話を心理療法にもどすと、甲野先生は田中聡氏との対談の中で、「カウンセリングっていうのは妙なもので、治してやろうと思うと治らなくて、その人の話のなかのあるポイントにすーっと入っていくと通ったりすることがあります。」「技が通るというのは、相手を倒そうとするんじゃなくて、そうやって、ある必然的な力の流れ、方向性や速さで、通るか通らないかが決まってくる、その通るかどうかっていうことに注目するだけでも、武術には十分すぎるほどのヒントがあります。」等と語りあっている。一方、立川昭二氏は、『気づき』という言葉が教育やカウンセリングの専門用語となっていることにふれ、乳がんの女性が鳥取市の徳永医師に、「今年いっぱいかなって思って、でも主人に気取られないように気遣います。」と語った例を紹介し、「妻は気取られないように気を使っているのですが、どうやら夫の方は察知していたようです。このように『気取られる』というあまり聞きなれない言葉が、ターミナルケアの現場で今も生きているのです。」と述べている。

◎手紙を書くこと2
 水戸合氣修練道場長 坂谷 康弘

 実は、2年ほど続けていることがある。
 妻と母と子に手紙を定期的に書いていることだ。
 きっかけは、糖尿病になったこと。ゆっくり、丁寧に字を書くことで心身にプラスになるかと勝手に思って続けてきている。
 おかげで、少しばかり字はきれいになったと思うし、反応は聞いていないが、家族の受けも悪くないようだ。また、知り合いにもちょっとした文を送ることにも慣れてきた。
 パソコンで文を打ち、メールで送ることが一般的な時代に、手紙を書くことは、より書く方、受け取る方にも、よい方向に働くものと思っている。
 ところで、恥ずかしながら、「竜馬がゆく」を最近になって読んだ。常人ではとても調べきれないほどに、よく調べている。この情報量が物語をより重厚に丁寧に仕上げて、深みをさらに増している。これは、手紙などの書類が多く残っていることがとても役に立ったと、著者が記している。
残してゆくことの大切さを知り、これからも「継続は力なり」で、続けようと思っている。もちろん、自分の中心には合氣道がある。今年も文武両道で実践してゆくつもりである。

◎大きな買い物
 岡山合氣修練道場 筒井 義典

 去年の4月から自分の家が欲しいと思うようになり、とうとう建てることになりました。
 まだ建設中ですが、この大きな買い物をすることで気付くこと、考えなければいけないことが多く有りました。
 まず、最初にマンションの選択肢は消えました。上下左右に他人が住んでいる状況は耐えられないこと、子供もいるので周りとのトラブルの可能性等々が理由です。
 次に中古住宅を考えました。現在住んでいるアパートの近所の家が空き家になっているのを発見し、夫婦で家もいいなと意見が一致したことが発端なので、その家を調べてもらうと月12万(築20年)で賃貸になっているとのことでした。毎月その金額を払っていくなら新築の方がいいと思いました。
 内田先生に不動産屋さんを紹介して頂き、中古住宅を探すときから色々と助けていただきました。そして工務店を紹介してもらい、良い土地も見つけて頂きました。
 私の場合、土地→工務店の順番だったので、家の向き、玄関の位置などの基本的な設計はすぐに決まりました。私の希望の縁側、畳の部屋、道子の希望の勉強部屋を付けてもらいました。ここで問題になったのが吹き抜けでした。リビングの上部が抜けている設計でしたが、別途費用が掛かる事、2階のその部分がデッドスペースになることを考え、やめました。結局、床にして本棚とカウンターのあるフリースペースになりました。
 順調に内容を詰めていきましたが、私には家を本格的に検討する前にしなければならないことがありました。大学卒業後も合気道を続けたいと思い岡山で就職しましたが、徳島の実家は自営業をしており弟が手伝っています。両親にはそれとなく家のことは伝えていましたが、祖父母には自分で伝えなければいけませんでした。反対されると思っていましたが、以外にもお許しが出ました。結婚し、子供もでき、仕事も順調なことが良かったのかもしれません。
 家を建てるにあたって、私と道子の両親は建てたことが無いので基本的には自分で動きました。不動産屋さんの助言を頂きつつ、工務店と打ち合わせをし、住宅ローンを組みました。しかし、要所では道子の両親に参加してもらい、確認してもらいました。
 この春からの流れの中で気付いたことは、わからないことは専門の人に聞く、第三者にも常に報告、確認してもらう事でした。
 例えば仕事で使う材料でわからないことがあると、販売店ではなく、材料メーカーに直接聞くようにしています。これは解決が早いことが一番にあります。私自身もそうですが、 売ってはいても作ってはいないので、回答に時間がかかってしまいます。
 そして、些細な事でも連絡・報告しハンコをもらうことです。これにはトラブルになった時の保険の意味もあります。これは仕事だけではなく、私生活でも役に立つので今後も   意識していきたいと思っています。
地元ではない土地で大きい買い物をすることはとてもエネルギーを使いました。まだまだこれから詰めていくこともあるので、知識、経験のある方々に助言を頂きつつ、残りの工程を進めていきたいと思います。

◎学ぶということ
 徳島大学 佐藤 恵実

 人は、考えることなしには生きられない動物である。
 一日の中で、何も考えない瞬間は無い。どんな時でも、人は常に何かを考えているものである―。

 以前にその様な事を書いた本を読んだことがあります。
 合気道を始めて約3年が経とうとしていますが、この3年間は私が今まで過ごしてきたどの日々よりも、ずっと考える事の多い日々だったように思います。私自身、考えることはとても好きですし、何より考え続ける事によって得られる理解や閃きなど、苦労して辿り着いた先に魅力があるように思います。
 それで言うと、合気道は本当に素晴らしい武道だと思います。稽古時に体を動かすとき、無駄な動きを消して技をかけるにはどのようにして動けば良いのか、どういったところに意識を置くことが大切なのか、今この瞬間に意識するべき身体の部分はどこなのかなど、頭をフル回転させながら身体も同時に動かすなど、常に脳と身体を同じ瞬間に使っているのである。そのためか、稽古時は時間が過ぎるのがとても早く感じ、稽古が終わってしまうと爽快感とともにまだ出来てないところたくさんあるのにー、と名残惜しさを感じます。ただ淡々と体を動かして稽古するよりも、何かを考え意識し、試行錯誤を繰り返しながら稽古したほうがいいに決まってる。そうしながら徐々に色々なものが積み上がっていくのだと思うと、本当に楽しくなります。しかし時には難しく考え過ぎたりして、固まって少しも動くことが出来なかったり、また簡単で単純なことさえ気付くことができなかったりします。それは稽古をしているときにも言えることであり、日常生活の中にもたくさんあります。稽古以外でも、幹部として仕事をこなすときなどは本当に考え続ける事ばかりでした。考えすぎて頭打ちになることもあれば、もう何も考えたくなくなることもありました。それでも、考え続けていれば見えてくるものはたくさんありますし、学べることもたくさんあるのだということを知りました。部活を終えて自転車に乗って帰るときでも、家に着くまでの25分間は常に何かを考えていました。稽古の時に気付いたことや、反省しなければならないこと、次はどうしたら良くなるのか、冷静に考えながら物事を振り返ることで気持ちを整理することが出来ました。そのおかげで、閃くことがあったり、新しい目標を得られることもありました。
 大学の講義やセミナー以外でも、人と話をするときも、音楽を聴いているときも、料理をしているときも、稽古をしているときも、常に何かを考え、そして学んでいるのである。
 興味のあること、また興味がないことも、今わからなくても、ずっと考え続けていればいずれわかる時が来るのだ。自分の中に積極的に取り入れて、自分の中で考えてそれを整理し、時間をかけてようやく得られるようになるものが「理解」であり、それまでの過程を「学び」と言うのかもしれません。長々と書いておいて結局何が言いたいのだと思われるかもしれませんが、とどのつまりじっとしていたって、面白いことなど一つも無いということです。携帯ゲームなんかするよりも、バラエティー番組ばっかり見るよりも、本を読んだり、外部からの刺激を受け、自分の知らない世界や色々な物事に目を向けて、視野を広げながら走り回ることのほうがよっぽど楽しいということです。
 幹部交代をしてから、そのことがよくわかったような気がしました。

 「難しいからいいんだ」内田先生が、よく稽古の際に仰っていた。
 本当にそうだと思った。簡単に達成できないからいいんだ。達成するまでのその過程に、価値があるんだな、と。

 すぐ手に入れられるようなものでは満足することはできない。
 簡単には手に入れられない何かを、常に追い求め続けていたい。

◎1年の振り返り、目標
 徳島大学 藤田 悠太

 今年1年合気道をしていて大きな変化があった。まずはインカレや合宿などの行事に参加したときに、1年次より稽古についていけるようになったこと。1年次より技の型を覚えたことによって稽古をするときに1から教えて頂きながらの稽古をすることが減り、成長を実感しながら稽古をすることができた。また技の型を覚えたことにより、インカレに参加したときには、1年次には分からなかった技の型の違いに戸惑いを感じた。稽古自体にやりにくさを感じたが、これはこれで面白いとも感じた。次に合気道部としての変化について。春に新入部員が入り先輩の立場になったこと。そして、多くの先輩がご卒業され先輩が佐藤さん1人になられたこと。男の先輩が私1人になり、昨年まで行事では先輩の指示に従うだけで精一杯だったのに後輩に指示を出す立場になり、今年はより一層気持ちに余裕がなかったように思う。また、後輩へ技を教えるという立場になり、自分が言ったことがうまく伝わらなかったり、どのように言えばいいのか考えるようになり教える難しさを感じるようになった。11月からは幹部になった。そして主将と外務の役職になった。幹部になってまだ間もないが、幹部としての仕事の段取りがよくわからず、行動が遅れたりすることもあり、大変だなと思うばかりで、佐藤さんが1人ですべての仕事をこなしていたことに本当にすごいなと痛感した。
 さて、まだ始まったばかりの幹部としてのこれからの1年だが、合気道部としては、師範からも部員5倍増計画とおっしゃられていることもあり、まず部員を増やすことを第1の目標とし頑張っていこうと思う。先輩の卒業と共に普段の稽古が寂しくなったのは感じている。もっと活気がでた方がやっていても楽しくなるはずだ。個人的には、当たり前だが幹部として、周りの人に迷惑をかけることの方が多くなるかもしれないが、仕事をこなしていくこと。そして何より、もっと技を覚え上達していくこと。これらを目標に頑張っていこうと思う。

◎気流
 徳島文理大学 松岡 あかり

 本年度もそろそろ終わりに近づいてきました。今年を振り返ると、慌ただしく過ぎていった印象が強くあります。その内容は、集団食中毒だったり、学業や交通事故だったりします。これらの理由で2・3ヶ月稽古に参加することができなかったことが残念だったと思いました。学業以外のことに関しては、理不尽に感じたりしていましたが、それらのことから学ぶこともたくさんあったので人生経験の一部として考え直すことができ、自分自身が多少は成長することができたと感じています。

 今年から幹部としての仕事を先輩から引継ぎをしていただいたので、学業とバランスを取りながら自分のできる範囲で精一杯がんばろうと思っています。

◎反省と今後について
 徳島大学 大久保 明日香

 合気道部に入部してもうすぐ2年がたちます。この1年もいろいろなことがありました。とりわけ怪我が多かった1年であったように思います。稽古中に剣と杖の間に指を挟んで打撲したり、当て身を防ぐことが出来ず口を切ったりしました。これらは小さな怪我だったので稽古に差し障りはありませんでしたが、自転車で転んで内腿に直径15センチほどの紫色の痣を作った時や、角膜を損傷し痛みのあまり目が開けられなくなった時もありました。このような怪我で稽古に出られなかったことがしばしばあったため、来年度は、自分だけでなく、周りの人たちも怪我をしないように、努めていきたいと思います。

 また、春に後輩が来てから、月1回の師範稽古を始めとするたくさんの部の行事に、先輩として携わることは、とても責任を感じ意義深いものでした。とりわけ幹部交代後の稽古ではいつも道場にいらっしゃった佐藤さんの姿は無く、幹部が私だけという稽古も多々あったため、より一層責任を感じるようになりました。それからしばらく佐藤さんに朝練をお願いし、もっと内容の充実した稽古が出来るようになるための指導していただきました。佐藤さんには、ご多忙中にもかかわらず、熱心に指導してくださり、本当にありがとうございました。

 そして、幹部交代をしてから部の仕事の多さに大変驚きました。今まで佐藤さんが全て1人でこなしてこられたと思うと畏敬の念を抱かずにはいられません。何も知らず稽古に参加し、合宿に参加出来ていたことに今更ながらに感謝しております。幹部が3人なので私は佐藤さんより負担は軽いですが、それでもちゃんとしていけるかいまだに不安です。来年度はとりあえず誰にもご迷惑をおかけしないように頑張っていこうと思います。

 最近ですが、徳大のHPをリニューアルしようと勉強を始めました。パソコン音痴なので習得するのに人よりかなり時間がかかってしまうと思いますが春休み中に完成させるのが目標です。部員5倍増計画の一端となれば嬉しいです。

 最後になりましたが、師範、OBの方々、先輩方、同期の2人、それと後輩たち、1年間ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。乱文失礼いたしました。

◎合氣道を始めて
 徳島大学 永井 宏瑛

 徳島大学に入学、合氣道部に入部しあっという間に1年も終わりに近づきました。振り返ると、普段の稽古では参加出来ない日も多く、なかなか上達することができませんでした。この気流を書くにあたっても学んだこと成長したことより、もっと真面目に稽古に取り組めたはずだなというような後悔の方が思い起こされ書きにくいなと感じています。
 合気道部に入部しようと思ったのは高校時代に少林寺拳法をやっていたので武道つながりで他の武術もやってみたいなと感じたことからでした。
 少林寺拳法をやっていた経験から最初は順調にいけるのではないかと思っていましたが本当に甘かったなと思います。少林寺拳法では中段構えを中心に右前や左前などいくつか基本の構えがあり、それに慣れているせいか、合気道の半身の構えからつまずきました。というより今でも意識していないと崩れていることがあり反省するばかりです。また、二教や小手返しなど似たように攻める技もありますが同じ柔術でもこれほど動き方が違うのだと驚きました。
 最も違いを感じたのは少林寺拳法でいう剛柔一体の考え方ではないことでした。少林寺ではまず突き・蹴りの基本から稽古が始まります。しかし、合氣道では柔術の中で補助的に突きなどを使うことはあっても主体になることはなく。さらに蹴り技はないと聞きました。体術の中で蹴りは有効に感じられるが、相手を足蹴にするのは無礼という考え方からきており、合氣道は武術のなかでもとても礼儀を重んじたものなのだと感じました。そして、そのような合氣道ならではの礼儀、作法や技術を稽古を通し師範や先輩方から学びたいなとも思うようになりました。
 今思うと、純粋に合氣道がやりたいという理由で始めたわけではなく、稽古の姿勢にも少なからず影響があっとのではないかと感じました。しかし、合氣道の稽古は楽しくまた学ぶことも多く、いまでは合氣道をただやりたいと感じられるようになりました。この気持ちを忘れずに今後の稽古に励みたいと思います。

◎変化の年
 濱村 将也

 今年もはや一年経ち、新しい年を迎えようとしています。
 何もかもが以前とは異なり、変化した日々の中、風のように過ぎ去った一年でした。
 しかし、ふと振り返ってみると何もかもを鮮明に思い出すことが出来る、とても濃厚な一年を過ごしていたのだと実感することが出来ました。
 思い出すのは麗らかな春の日差しの中、大学の門を通った私は、入学以前より興味を持っていた合氣道部に入部することに決めたことを憶えています。とはいっても、すぐに入部を決断したわけではなく、見学をさせて頂き、その中で合氣道部に所属する先輩方が稽古する光景を見て、合氣道部に入部することになったのです。
 入部してからは驚きの連続で、正直な話をすれば初めての部活動、初めての礼儀作法と慣れないことも多く、大変だと感じることもありました。それでもそれを撥ね退けるほど、面白く魅力的な体験がありました。初めて実際に技にかかったときは、自分でも驚くほど体が自然に崩れたのが分かりました。強引に崩されたのではなく、体が自然に崩れていく感覚がとても新鮮で面白かったということを今でも強く覚えています。初めて稽古、初めての師範稽古、初めての道着と武器。そして初めての合宿と文化祭。どの初めても色褪せない大切な経験です。
 しかし、今年も後期に入ると、勉学や色々な理由が重なり、合氣道部の稽古にほとんど参加できなくなってしまいました。様々なことで合氣道部の全員に迷惑をかけてしまい、合氣道部に行きづらいなと思うこともありました。それでも今こうして氣流を書いているのは、そんな私にいつでも声をかけてくださる先輩方や、励ましてくれる同期の仲間がいたからです。今年一年、私は色々なことで、色々な人に迷惑をかけてしまいましたが、その度に多くの人に支えられ、前に進んでいくことが出来ました。
 入部当初、道着の帯も結べなかった私が、今は結べるようになりました。
 全く合氣道の技を知らなかった私が、いくつかの技がまだまだではあるものの実際に型ができるようになりました。
 そして誰かと協力し、行動することの大切さをこの1年で学ぶことが出来ました。
 そういった身体的、精神的な意味でも今年は私にとって変化の年であったと言えます。
 今年も残りあと僅か。今年をしっかりと振り返り、整理し、新しい年を迎えたいと思います。来年には後輩が入部してくるため、私は先輩になります。まだまだ誰かに何かを教えるどころか、迷惑をかけてばかりの私です。心の準備はできていないというのが本当の所ではあります。しかし、そうはいっても後輩は4月に入れば入部してきます。だからこそ先輩にとって信頼できる後輩で、同期の仲間とって高め合える仲間で、後輩とって頼れる先輩になれるよう文武とも励んでいきたいと思います。
 こうした誰かに対する自分を考えられるようになったのも合氣道部所属したからこそだと思います。今年得た経験を今後の自分にしっかりと活かしていくことが出来るよう行動していきたいと思います。



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