徳島大学 合気道部

2017年 気流

◎昔話
 徳島大学合氣道部師範 内田 進

最近は岩間での内弟子修行時代のことを学生に話すことも無くなってしまいました。
蔵出しでもないですが、むかし書いたものを今の学生諸子に読んでもらって岩間を少し感じていただければ幸いです。

掃除をしながら 岩間に入門してはじめての大祭。その二日前。
斉藤先生から
「便所掃除の道具一式、神社へ持って来てくれ」
といわれ、急ぎ神社へ。そこで先生は
「これは俺の仕事だ。お前はそこで黙って見ていろ」
と言いながら 雑巾を絞って神社の便所掃除をはじめました。ものすごい勢いでゴシゴシと。
何度も「私がやります」といっても
「これは俺の仕事だ、見てろ!」
と怒鳴られます。 結局、最後まで私は直立不動で先生の便所掃除を見てました。辛い時間でした。

翌年、大祭の三日前。
仮に便所掃除が先生の仕事でも先にやっとけば怒られたとしても先生の仕事はそのぶん楽になるという理由をつけて、神社の便所掃除をゴシゴシやりました。

その日の夕方。
「内田、便所の掃除はしたか?」
「はい。やっときました」
「よし」
一年越しの教えでした。

先日、そんなことを思い出しながら野山武道館の玄関と更衣室を掃除しました。

※大祭…合氣大祭。毎年4月29日に岩間の合氣神社で催されるお祭り。

◎合気道に感謝! みなさんに感謝!
 徳島文理大学 生島 博之

 愛知教育大学で65歳定年を迎えようとしていた時に、徳島文理大学からお誘いがありました。その際、「徳島文理大学に合気道部があるのだろうか?」と、さっそく大学のHPを調べました。(というのは、愛知教育大学での14年間、学生さんたちと一緒に週3日ほど稽古していたからです。)すると 、合気道部があったのです!そこで、徳島文理大学に赴任することを決断しました。そして、内田師範のご配慮により、徳島文理大学合気道部で稽古させていただくことになりました。
 しかし、稽古をし始めて分かったことは、徳島大学合気道部の皆さんと合同稽古があるということで、新入生歓迎の演武の時にはたくさんいたはずなのに、部員が少ないということに驚きました。そして、なによりも戸惑ったのは、私がこれまで学んできた合気道とこれから学ぼうとする合気道 (岩間流)の違いです。
 そのため、昔の癖(技)からなかなか抜けきれず、約5年間稽古したにもかかわらず成長は乏しく部員の皆さんにいろいろとご迷惑をかけたことと思います。しかし、このような貴重な体験をさせていただくことにより、合気道の原点にふれることができたのは大きな喜びでした。おかげさまで 合気道を日々の励みとして徳島での5年間の生活をまっとうすることができました。合気道に感謝!内田師範に感謝!そして、一緒に稽古してくださった部員の皆さんに感謝!いたします。
 今後は、どこで合気道を学ぶか決まっていませんが、京都に戻っても死を迎えるまで合気道の稽古に励みたいと思っています。

◎私の「公」とは
 岡山合氣修練道場 筒井 義典

 最近、新聞で連載されている楠木正成考(「公」を忘れた日本人へ)を読んでいる。後醍醐天皇に対する楠木正成の行動から「公」というものがどの様なことかがわかってくる。
 では自分の中の「公」とはどういうことか気になり、まず漢字の意味を調べてみた。
1.政府。官庁。国家。
2.個人の立場を離れて全体にかかわること。社会。公共。世間。
3.表だつこと。表ざた。
4.天皇。皇后。または中宮。
5.朝廷。
 小説『世に棲む日々』の中で玉木文之進は、侍の定義は公(おおやけ)のためにつくすものであるという以外にない、ということが持説との件もあるので上記の2の意味で考えてみると、私の中では仕事が「公」に当てはまる。
 では私が仕事でしていることは「公」になるのか?職場では利益を出し、税金をちゃんと納めることが社会に貢献することだと常々教えられている。そのためにはまずお客さんに貢献し注文をもらう。確かに2の意味に沿っていると思う。
 しかし、私自身が仕事中、常に個人の立場を離れていることはできていない。稽古に行くために仕事を切り上げることもあれば、私用で定時に帰ることもある。有給も取るし、営業の途中で家に寄ることもある。現在の生活では徹底することはなかなか難しい。 公私混同とまではいかないと思うが意外に私生活に依ることがあるのが改めて分かった。
 仮に私が仕事を一番にしたとする。日々の業務が全て終わるまで残業し、休日も出社。もちろん稽古にも行けず、家族との時間も激減。それに近い状況は実は前職と今の職場で経験したが体も心も悪くしている。私にとって詰めすぎることはよろしくない。
 プライベートの時間は仕事に対してもプラスに働く。煮詰まった時ほど稽古に行くと、その後の作業が不思議とはかどるのだ。肩の力が抜け、頭がはっきりとする。
 私にとって「公」と「私」は切り離して考えることはできない。なるべく混同は避けるが、それぞれの内容を考えると共存しているようなものだ。
 「公」は「私」を行うための原資(給料)をもたらし、「私」は「公」を行うための理由と自分を確認できる場所を与えてくれている。もちろんお互いのことをちゃんとしなければ、その関係性も崩れてしまうので注意しなければいけない。
 これからも「公」というものを意識しつつ、「私」を充実させ、それぞれが良い関係になっていくよう日々努力していきたい。

◎2017 気流
 藤田 悠太

 大学2年の秋のことだった。僕は堤防で友達と太刀魚を釣っていた。釣れないねとぶつぶつ言いながら時間が過ぎていた。そんな時に、後々16歳 と分かる少年から絡まれた。「お前何見て来とるんや」と。この時が人生で初めて絡まれた時だった。明らか年下だなと思い、目の前にいる少年の世界の狭さに悲しさを感じつつ、僕は心の中で殴ってきたらどう対処しよう、胸ぐら捕まれたらどう対処しようと技をかけようという意識であった。 僕が合氣道部に入部したのは、自分の身を守るための力を身につけたかったからで、いよいよその身に着けた技が通用するか試す時が来たという考えであった。結果的に、何も暴力的なことはなく、少年は去っていき、太刀魚が1匹釣れ上機嫌で帰路についた。
 あの日から2年経ち、この2年の間に内田先生からたくさんのお話を伺った。その一部を抜粋させていただくと、「被害者も加害者も作らないのが合氣道である」「勝つことを目的にするのではない、日々稽古に精進してきたことに価値がある」「ナイフで刺されそうになったときに、避けれれ ば稽古をしてきたことに感謝し、刺されれば稽古が足らなかったと後悔する」。これらのお言葉は僕の考えを変え、自分の考えがいかに浅はかなものだったかと恥じた。
 4年前に合氣道部に入ろうと武道場にいったときは、学内で行われている部活としか思っていなかった。師範がいること、鳥取大学と合同の合宿があること、岡山合同稽古でたくさんの人たちが関わりを持っていることなど後々知るにつれ、予想もしていなかった世界に足を踏み入れたのだなと 思った。しかし、これらのことから生まれた出会いがあり、この出会いから自分自身成長できたと思う。来年から社会人になる。たくさんの出会いがあり、色々なことを経験していくだろう。4年間で得たものが活かせるかわからないが、4年間部活を続けてきたということは、自分の中で誇れる といえばおこがましいが、人に大学生活で頑張ったことと聞かれれば自信を持って言えることなので、4年間の合氣道部での経験に自信をもって仕事を愉しみたいと思う。

◎後輩、袴、主将
 大久保 隼人

 この一年も矢のように過ぎ去り、昨年の氣流で書いた通り、考えることを怠らず過ごせたように思いホッと(?)しています。有言不実行ほど男が廃るものもないので。
 ただ、この一年振り返ってみると、これほどに時の流れを早く感じたのは自分の過ごし方だけでなく、環境や立場の変化なども大きいと思います。平成28年度が始まると、まずは新入生勧誘時期。勧誘活動では、人と接するのが得意でないもので、かなり他の人に任せっぱなしにして申し訳なか ったです。結局新入生は4人。今まで一番下の学年だったが後輩ができ、初めて経験する合氣道に疑問だらけの後輩の質問に自信をもって答えられることが少なく苦労しました。技に関しては、兎も角間違ったことを伝えないようにと、それから師範からきちんと聞いた情報と、先輩から聞いた だけの情報ははっきり区別して伝えようと意識していたので、その点は悪くない先輩になれたのかなと思います。
 そんなこんなで、日々の稽古に後輩にどのように教えるかという新たな課題が増え、苦闘しつつ夏を迎えての1級の昇級審査。ようやく念願の袴に足を通せるようになりました。袴を穿くと、なんだか以前にもまして気持ちが乗り、以降稽古がますます楽しみとなったように感じます。秋の合同 稽古では、他大学の後輩たちが諸手取呼吸法のお願いに駆け寄ってくるので、袴効果と先輩になったことの再確認をしました。
 自分にとって、合氣道部におけるこの年一番の出来事は11月、幹部交代により主将となったことでしょう。昨年から副将を務めさせてもらっていたので、ある程度覚悟はしていましたが、学業が忙しくなって稽古に出られない可能性を考慮すると、自分が引き受けて迷惑がかからないだろうか との心配もありました。ありがたくも、そんな時は同期が仕事を引き受けてくれるというので、それならと務めさせてもらうこととなりました。
 主将として、心がけようと思うことがいくつかあります。まず、間違いを教えないこと。そりゃそうだ、という内容ですが重要だと思うので明文化しておきます。これを読んだほかの部員も意識してくれると嬉しいです。次に、連絡事項は早めに伝えておくこと。各人部活動以外にもさまざま用 事があると思われ、早めに連絡してもらえるほうがありがたいと思うので。それから、先輩方の作ってくれた楽しく稽古に取り組める部をつなげていこうということ。「練習ハ常ニ愉快ニ実施スルヲ要ス」
 主将として少し先の心配事、来年の新入生をどれだけ獲得できるか。「新入生の数は主将の魅力」この言葉すでに相当プレッシャーに感じています。きつい土佐弁で喋る、先にも書いた通り人付き合いの得意ではない自分です。ただ、自分がそうであったように、この部活に来る人間は大方もと より興味があったタイプで、勧誘されたからというタイプではないだろうと想像するので、そういった自分から訪れた人が去っていく原因にならないようにはしようと思います。
 ごちゃごちゃと書いてきたけど、雑なまとめ方をすると、今年も稽古が楽しかった。ただそれだけ。ただそれだけだけど、それだけは胸を張って言えるというので十分かなと。

◎合氣の氣,術の中の道
 竹内 幸熙

 合氣道を始めて二年目。昨年度は高校時分に自分のしてゐた劔道の事を考へ乍ら書きました。今年度は覺束ない合氣道の動きをそのままに,なんと袴まで穿いてしまつたこのじぶんに思ふ事をくどくどと,打ち込まうとて打ち込むのであります。
 合氣の「氣」。
 開祖の合氣道を創りたまう時より幾年月が流れて,一つ合氣道とて色色な合氣道があるやうな氣がする今日この頃,合氣道をして二年た經ちまして自分の合氣道の「氣」に關する考へ方が變はりました。「氣」や「呼吸」と云つたモノ,之等は自分にとつては何かしら呪術的なモノ,言 葉には表現できない何某かのやうなモノ,不思議な力のやうなモノであると今迄考へてゐた処であり,斯かる合氣道を不思議な動きたらしめ,どことなく怪しさをはらませてをりました。今でも「氣」や「呼吸」なるモノが正しく之と分かつてはをりません。そして,合氣道の中の信仰におけ る呪術的なモノと云ふ受け止め方に關しては變はなぬ処ではあります。然し乍ら,氣功のやうな力,不思議な力と云ふ考へは自分の中で影を潜め,「氣」と云ふモノは「合氣」の「氣」なのであるのかなと思ふやうになりました。合氣の「氣」,當たり前の事で,其れ故の合氣道なのではありま すが,此の「氣」は氣を引くの氣,氣が合ふの氣であるだと改めて感じました。相手に合はせる。自分は「流れ」の稽古には未だ未だと思ひますが,「氣」を合はせていくこと,「呼吸」を合はせていくことが,合氣の道にゐることに於ける重要なことなのかなと思ひます。
 術の中の道。
 合氣道は武道ではありますが,其の稽古は昔から続く武術であります。武道は「修錬して心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、国家、社会の平和と繁栄に寄与する人間形成の道」(日本武道館,武道の理念より)と云ひますが,武道を武道とし て,精神修養の方法として取り組むことは簡単ではありません。思ふに「自分は(精神修養の爲の)武道をしてゐる」と思ひ乍ら,其れに取り組むことは相當な精神力を伴ひます。「武術は極めれば人を殺めるに容易な材料が詰まつてをり,其れに比べ精神修養の武道は人殺しの術ではない 」,武道は「人間形成の道」が核で有りながら,いつしか,自分の行爲の行程や表面的な説明に留まり,本心は勝つため等の術に陥りやすいのではありますまいか。
 「道」を修めるための「術」,自分は合氣道に「術」をみます。「道」は「術」を極めた先にある,「術」を修める中で其の技の面白さや危險性を知ります。生の中に有りながら死を感ずる中で,稽古の中で取りと受けとして生と死を繰り返す中で,「術」を編み出した先人の素晴ら しさと「術」で死する人の脆さを感ずればこそ,「道」は開けてくるのではと思ひます。「道」の中に「術」はあります。ただ,「術」を一生懸命やつていく中に「道」と云ふのはあるのではないのかと思はれるのであります。
 よく分からないことをよく分からないなりに一所懸命考へて,からだ體で覺えていく中でふと何か分かるやうな氣がする。そんなことを思ふと何か愉しい。

◎気流(2016年度)
 小川 彩

 幹部交代をし、主将永井先輩のご指導のもと、稽古をしてきました。私は合気道部の会計を引き継ぎました。合気道部に入って一年も経たないうちに幹部になったので、少し不安もありましたが、卒部された先輩のサポートのおかげでなんとか会計を務めています。
 春には、一年生が合気道部に入ってきてくれました。個性豊かなメンバーが加わり、さらに合気道部が賑やかになりました。一年生と稽古をすると、一つも自信を持って技を教えられなく、力不足だと感じます。しかし、言葉で技を教えているうちになんとなくだが、技を覚えやすくなるの で、一年生に頑張って教えることが自分のためになると思うようになりました。
 一年生が入ってきてから初めての師範稽古では、内田先生から半身や武器の持ち方をご指導いただきました。私も初心に戻り基本の半身の姿勢を確認したところ、やはり一文字腰ができていなくて、普段の稽古で気を付けていないとなかなか正しい半身ができないのだと感じました。また、 週一の武器稽古に十分参加していないため、剣を振り下ろしたり、杖を突いたりするときによくブレます。組杖や組太刀も覚えられていないので、次の一年生が入ってくる前に教えられるようになりたいです。
 夏合宿では、鳥大さんと稽古をしたことで良い刺激になりました。また昇段試験では、二段を受けている先輩たちの姿を見てとてもかっこいいと思いました。私があと二年間で先輩方のような合氣道ができるかは分かりませんが、憧れのままで終わらせず、少しでも近づけられるように頑 張りたいです。
 秋には初めて岡山合同稽古に参加しました。七割が社会人の方だったのでとても緊張しました。このような合氣道の合同稽古を通じて様々な人と交流することで、自分の気づかないところを指摘してくださったので、とてもよい経験になりました。
 今年の大学祭では模擬店を出し、ポップコーンを販売しました。なかなか売れなかったり、途中で天気が悪くなったりして、とても大変でした。でも、ポップコーンを作ったり、宣伝したりして部活のメンバーと活動できたことはとても楽しかったです。演武では、飛び受け身に挑戦しま した。恐怖心があり、なかなか挑戦できなかったが、このままではいつまでたってもできないと思い大学祭の演武で飛び受け身をしようと決めました。技によってはまだ飛び受け身できませんが、演武では成功したので挑戦して良かったです。
 春になると一年生が入ってきますが、それまでにできるだけ多くの技を覚え、言葉で説明できるように稽古に励みたいです。また、多くの一年生を呼び込むため、昨年の反省をし、積極的に一年生を勧誘していきたいです。
 来年度は徳島でインカレが開催されるので進行や準備を頑張りたいです。また、体調に気を付けてこれからも合氣道を楽しく続けていきたいです。

◎頼れる先輩になりたい
 曽我部 萌

 今年一年を振り返ると、一番大きな変化はやはり後輩がいるということでしょう。
一年生の終わりが近づくにつれ、「後輩ができる、どうしよう」という不安は増すばかりでした。そして、春になり、ついに後輩ができました。教えるということに慣れておらず、うまく伝えられなかったり、質問に答えられなかったりと不安に思っていた事態はまさにその通り起こりまし た。あいまいで、ぼやっとした教え方になってしまい、一年生には申し訳なかったです。
 そのような状況の中で、稽古に対する意識は今までとはがらりと変わりました。まず、なんとなく続けていれば技も覚えるだろうという考えは間違っていたことに気づきました。一年生のときは、そのとき順番どおりの動きができていればそれで良しとしており、後から技の動きや稽古内 容を聞かれても全く答えられませんでした。ここは反省点です。
 稽古、特に師範稽古や合宿では、自分自身が技を覚えてポイントを意識するのはもちろんのこと、後輩やその場にいない部員にはそれをどう伝えるかを意識して取り組むようになりました。また、内務としての業務も兼ねて稽古日誌をつけ始めました。稽古の度にメモを取り、ついでにポ イントも書き込むことで一年生のころよりは格段に技を覚えました。業務の一環であるということで使命感があったのもよかったです。最近では、少しは教えられるようになったのではないかと思っています。そうであってほしいです。
 この気流が仕上がるとすぐにまた新しい後輩を迎える時期がやってくるでしょう。「少しは教えられるようになったと思う」といっても四月の自分に比べてのことなので、まだまだ分かっていないこと、できない動きもたくさんあります。これからも引き続き稽古に励んでいきたいです。そして、頼りになる先輩になれたらいいなと思います。
 新年度は新歓にも力を入れていきたいです。人数も多いほうがいいですし、なにより女子の肩身が狭くない合気道部にしたいです。現在女子二人で肩身の狭い思いをしているので。
 また、個人的な目標としては段位を取得し、黒帯を締めたいです。一級の昇級試験でさえとても緊張したのに、さらに技の数が多く、再び自由技をしなければならない昇段試験を受けるのはプレッシャーですが黒帯は憧れです。
 ここまで書いたことをふまえると、黒帯を締めた、頼れる先輩になれれば次年度の目標は達成したと言えそうです。そんなふうに一言で言っても、私にとっては先の長い大きな目標に思えて仕方ないのですが…精進します。

◎合気道をやって
 浅成 康汰

 二年生になって、後輩に教えなければならない立場になったが、うまく教えられることはできなかった。そもそも合気道の技がどういう意味で成り立っているのかをぼんやりと分かり始めたのが、一年生の三月ごろで、後輩ができるという直前だった。ほとんど自分が理解できていないこ とを後輩に伝えるのはすごく難しかった。さらに今の一年生は武道経験者ではなかったのでより難しかったのではないかと思った。そこで、自分なりに合気道を理解しようと筋肉を図解している本や、武士道や合気道の本を読んでみたり、下駄を履いて歩いてみたりしたが、今でもほんの少 ししか理解できていない。一つ気付けたと思えばより深い部分が出てきて、武道の奥深さを実感した。筋肉や武士道、合気道の本を読んで、武道の深い部分を見たことで、今までより見える世界が少し変わり、人生に刺激を受けた。
 二年合気道をやってきて、ようやく合気道が分かり始めてきたタイミングで、留学に行くことになり少し残念だが、今よりも多くある余暇を利用して個人的に稽古に励みたい。中国には太極拳や少林寺があるので、何か合気道に通ずる部分を吸収したいと思う。

◎「無題」
 井戸垣 信吾

 初め、氣流を書くにあたって何を書こうか困り、先輩方の氣流を読ませて頂いた。やはり多くの先輩方も一年生の時、書くことに困られていた。故、書き出しは敢えて、この様な書き出しから始めようと思う。
 自分は、入学式の時のサークルオリエンテーションで、初めて合氣道を見た。その時は、絶対に入らないだろうなと思っていた。理由として、「演技を極めてどうなるのだろう」という疑問があったからだ。そして、空手部の見学の時に一緒に合氣道部の見学もさせて頂いた。その時の 新歓で、部の雰囲気が良くて入った。しかし、今は合氣道が演技でないことがよくわかる。そして、演武というようなものと異なることもわかる。
 今迄中高の授業での、剣道、柔道などしか武術をやってこなかった。故、武術に精通してこなかった為か、正直初めの頃は、師範が凄すぎて、師範の偉大さが分からなかった。入部した初めの頃は、動き、姿勢、何もかもが難しいし、初めの頃は正直あまり楽しくなかった気がする。最近に なってようやく、師範がいかに凄い方なのか理解しだした。それと、同時に、合氣道の面白さが理解出来る様に成ってきた気がする。
来年、自分と同じ様に、興味を持たない新入生がいるだろう。しかし、分かってくると他では知ることのない面白い部なので、是非来年新入生に入って欲しい。
 自分は、中学の時卓球部に中二の途中から入った。その為、一年の時から入っていた二年生と人間関係が上手くいかず、一年ちょっとでやめてしまった。それ故、人間関係がすっきりした部に大学では入ろうと思っていた。人間関係がスッキリしており、本当にこの合氣道部に入って良かっ た。改めて、良き先輩に恵まれた部に入ることが出来、先輩方に感謝させて貰いたい。
 今年、合氣道を通して学んだ事と言われても、師範の偉大さ、体の動かし方の難しさなど合氣道の初めしか学べなかったと思う。故、来年は体の仕組みを理解してより上手くなれるよう努力したい。そうすることで、合氣道への理解につなげたい。
 最後に、今年の心残りとして、、、 女子部員 が欲しかったです。
 今年一年、師範、三輪先生、生島先生、先輩方、有り難う御座いました。来年も宜しくお願いします。

◎合気道に触れて
 鳥越 祐磨

 大学に入ったら今までしたことがないことをしたいと思っていました。ただ、何がしたいとかは決まっていなかったのですが、何か体を鍛えるようなことがしたいと思っていました。
徳島大学で合気道部があることを知ったのは部活紹介のときでした。今まで武道や格闘技に触れたことがなかったのですが、合気道部の紹介を見たときにとても印象に残り、気づけば合気道の体験に行っていました。
 合気道を体験する前は、武道や格闘技は痛みや苦しい思いをするものだというイメージがあったのですが、いざ合気道を体験してみると先輩方が丁寧に教えてくださり、とても楽しいものだということがわかりました。
今まで日常生活ではしたことのない体の動きをするので、日々の稽古では常に頭に疑問があり、どうすれば良いかがわからないこともありましたが、少しコツが掴めたり、少しうまくできたりしたときにとてもやりがいを感じました。どのように体を動かせば良いのかわからないことも多々 ありますが、少しずつ自分のものにできるように試行錯誤し、少し意識を変えるだけで技のかかり具合が変わる合気道に楽しみを感じています。
 日々の生活の中でも合気道の動きを考えたりすることが増えてきており、この一年間は合気道と密接に関わった一年となりました。大学に入って合気道を始めたおかげで貴重な経験ができ、少しでも人の体の構造について詳しくなれたような気がし、一年間とても充実したものになりまし た。
これからは先輩になるのでこれまで以上に楽しみながら稽古に励んでいきつつ、後輩に合気道の楽しさを伝えていけたらと思います。

◎気流
 中筋 優人

 自分が合気道の稽古を五月のはじめから始めて約九ヶ月が経ちました。最初合気道部に入った時から考えると九ヶ月経った今少しは合気道に関してわかってきたつもりでいますが、実際分かっているのは目に見える所ほんの少しのことだけで奥深いところが分かっていないと思います。な のでもっと合気道のことを知りたいと思います。
 合気道では礼儀をしっかりしなくてはならないということをよく感じました。稽古の時でも昇級試験のときでも礼に始まり礼で終わるこのことがとても大事であるということがわかりました。自分が中学生や高校生だった時に学校の校舎で先生にすれ違う時のあいさつであったり、マンシ ョン内で人とすれ違う時のあいさつであったりが大切なのだと改めて感じることもできました。
 合気道をして感じたこと、思ったことを忘れないように日々の稽古に励んでいきたいと思います

◎初めて尽くしの一年

 中村 滉諒

 2016年を終えて、合気道部での一年も終わりかけなのかと私は振り返っています。私は中学も高校も帰宅部でした。大学生となって、何か新しいことをしたいと思い、また前々から興味があった合気道をしてみたいと考えて入部しました。その決断は間違っていなかったと今はしみじみと 思っています。
 そうした一年の中で、インカレや大学祭といった行事に初めてする側として参加しました。今までは見る側であって行う側ではなかった自分はかなり緊張していました。けれどもそのために練習を行い、練習通りにやりきるだけと自分に言い聞かせることで何とか乗り切ることができま した。また、夏合宿にも参加し三日間、朝から晩まで合気道のことだけを考え続け稽古しました。すこし緊張していたはずが、稽古の疲れでそれどころではなく、それを思い出す暇もありませんでした。その時は気付きませんでしたが充実していたのではと今では思っています。
けれどもこう書くと、普段の稽古が充実していないように思われてしまうかもしれませんが、それは違います。普段の稽古では、呑み込みが悪い自分にも丁寧に教えていただき、また間違っているところがあれば、指摘してくださり、どのようにすればいいのか教えていただいています。 そのおかげで、順調に昇級もできています。稽古は楽ではありませんし、体の動かし方や型自体も難しいですが、実に奥が深く、少しずつでも前に進めているのが分かって楽しく充実していると思います。
 最後に、もうすぐ大学生一年目が終わることを考えると、これもまた感慨深いものがあります。長かったようであっという間に通り過ぎ去った一年でありました。そして、少し気が早いかもしれませんが、四月になった時、新たに入部してきた一年生に合気道の魅力を少しでも伝えること ができたらいいと思っており、そのために少しでも上達できるように稽古に打ち込みたいと考えています。



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