徳島大学 合気道部

2016年 気流

◎『遊』
 徳島大学合氣道部師範 内田 進

 私の昨年の漢字一文字はこれです。
 遊び稽古に熱中したということが一番の理由です。そして、白川静博士の「遊字論」を知ってもっと楽しくなりました。

 「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に他ならない。この神の世界にかかわる時、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である」

 ここでいう『遊び』とは、「現代の文明における堕落し果てた虚妄の遊び」ではないので、その違いも吟味ください。

 「遊びは神人合一の世界」と白川博士は言います。

 「神人合一」と聞いて大先生を思わない合気道家はいないでしょう。

 「まつり」という言葉は、「真釣り」といって、真釣り合うということを意味していて、上下の関係や、横の関係、また相対関係においての調和や和合を言い、大先生は合わせることを「気結び」と言いました。「結び」は「産霊」とも書きます。
 「神人合一」とは、人が神のように振る舞うことではなく、赤心をもって神の御霊と共にあるということなのでしょう。

 昨夏、参拝した石上神宮のことが産経新聞に書かれていて面白く読んでいると、権禰宜の言葉として「ご祭神(布都御魂)は、刀の神であっても武の神ではありません。生命の根幹を預かる神としてお祭りしています」と書かれていました。

 人が刀を手にするとき、まさしく神とひとつになり、武が産まれるものと理解した次第です。

◎伝統の意味
 徳島大学合氣道部顧問 三輪 昌史

 もう28年も前になりますが、私の学生時代、徳島大学合気道部では週に二回、外(主にグラウンド)で剣と杖の稽古を行っていました。確か、月曜日と金曜日が外で剣または杖の稽古、火曜日、水曜日、土曜日は体育館の道場で体術の稽古でした。
 外の稽古、4月の新歓時期は、グラウンドで剣または杖の素振りの稽古。5月からは稽古の前にランニングが入りました。ランニングは体力づくりが目的だったかと思います。男子はみな裸足で稽古をしていました。雨の日は、体育館2階の通路を使ってのランニングのあと、筋トレ(腕立て伏せ、腹筋など)をしてから素振りの稽古でした。男子はみな裸足で。5月は、ランニングで徳島城公園までいき、助任川にそって走り、公園の機関車脇の登山道から城山を登りました。このとき、交代でおんぶをして登る。このころは頂上に護国神社がありました。参道の北側に並んで、前川町をみおろしながら、発声練習(何の練習なのか?)。その後、ランニングでグラウンドに戻ってきて稽古を行いました。男子はみな裸足で。6月からは、ランニングのコースを変更して、吉野川大橋を往復してからグラウンドで稽古でした。男子はみな裸足で。12月の幹部交代のとき、コースは新幹部の趣向によるのですが、徳島市内を稽古着姿に剣または杖をもってランニングをしました。男子はみな裸足で。
 私の場合は幸いにも、外の稽古でのランニングで足の裏にけがをしたことはなかったです。裸足で走ることで、舗装の善し悪しが分かるようになりました。また、足をどこにおけば痛くないか、如何に足の裏に体重を分布させて痛くないようにするか、こうゆうことがうまくなった気がします。あと、同期の連中と一緒にやったという一体感は生まれていた気はします。
 “外での稽古も裸足”というのは、徳島大学合気道部の伝統であったと思います。道場での稽古は当然裸足でやります。道場での稽古の延長としては、外での剣と杖も“裸足で稽古”はありかなという気はしますが(それでも芝生やコンクリートの三和土など、突起物が無い場所での稽古がいいですが)、体力作りが目的のトレーニングまで裸足というのは、今から思えば疑問があります。グラウンドや体育館2階の通路は学内ですし、突起物などの危険物が落ちていることもほとんどないと思います。しかし、学外の一般道路や公園、登山道などは何かの危険物がおちていたり、地面の突起などで足を痛めたりする可能性があります。トレーニングの環境で足を痛める可能性があったのでは、本末転倒です。なんらかの理由で外の稽古も裸足でおこなうと定めたと思うのですが、学外のランニングまで拡大したのは行き過ぎだったと思います。また、それが伝統となっていたことも。
 伝統は、何かしらの理由があって出来上がり、引き継がれるものです。ほとんどは正しく伝えるべきものだと思います。ただ、中には現状に合わないもの、冷静に考えると意味がわからないものがあります。なにを継承し、何をやめるか。取捨選択は、実際に引き継ぐ方が行うべきことですね。そうゆう選択が、大事ではないでしょうか。

◎『気』の探求(4)
 徳島文理大学 生島 博之

 心理療法において大切なのは、「やる気がでない」「無気力」「気が沈む」「気を病む」等で苦しんでいるクライエントが「元気」「活気」「やる気」「勇気」「英気」等を取り戻すことであると思われるが、その過程において重要なのは『養生』(気を養うこと)であり、同様に合気道においても『気を養う』ための日々の鍛錬が重要である。  合氣の鍛錬について、植芝盛平翁は、「合氣ハ練習ノ徳ニ依リテ自然ニ會得シ得ルモノナリ詳細ハ口授ス」と述べられている。内田先生のご指導を受けてから4年が過ぎようとしているが、徳の少ない私ゆえ合気道の上達は遅々としたものであると思われる。そのため最近は、氣の鍛錬の基礎である『体の変更』『諸手取り呼吸法』『座り技呼吸法』を、初心に戻ってしっかりと練習するように心がけようと考えている。
 さて、話を元にもどすと、貝原益軒は『養生訓』の中で、「命の源である気は、目に見えないまま体のなかをめぐっています。病気もこの目に見えない気によって起こります。だから養生は気を調えることにあります。それは気を減らさないことです。気を減らすと病気になります。」「気が体全体を滞りなく流れていないと病気になります。」等と述べている。また、益軒は、古代中国の医書『素問』の言葉を引いて、「怒れば気は上り、喜べば気はゆるみ、悲しめば気は消え、恐れると気はめぐらず、寒ければ気は閉じ、暑ければ気は漏れ、驚けば気は乱れ、疲れると気は減り、思へば気は固まる」と述べている。
 そして、「気を減らさず滞らせないためには、体を動かすことがいちばんいい。とくに気を胸の1カ所に集めてはいけない。怒り、悲しみ、憂い、悩みがあると胸の1カ所に気が滞ってあつまる。」「気を養うことは、もとより心を養うことでもあります。気を養えば、体も心もともに回復するのです。」等とアドバイスしている。
 また、益軒は謹厳な学者の面ばかりでなく、婦人と楽器を合奏して楽しんだりする風流人であったそうで、益軒なりの気分転換、そして息抜きをしていたようである。
 『気=息』という考えでいうと、『気を養う』ことは『息を養う』ということになる。息を養うには、息を荒くするのではなく、息をいたわり、休めることが大切である。『休息』は心や体を休めることであるが、文字どおり『息を休める』ことである。『息抜き』は『心の換気』とも言える。
 これらの教えを参考にしながら、合気道と心理療法における『気の鍛錬』について今後も思索を深めていきたいと思っている。

◎継続
 岡山合氣修練道場 筒井 義典

 私の今までの人生で一番長く続けていることは合気道だ。今年36歳になるので、大学一年生から18年。人生の半分になる。継続は力なりとは言うけれど、稽古においてはまだまだ力にはなりきれないところが多い。実は去年の7月頃から仕事上で続けていることがあり、半年以上たったので少し検証してみようと思う。
 まずはメール。基本的に業務は電話とFAXがあれば事足りるが、メールを送る事を増やしてみた。内容は図面のやり取りから、受発注、商品の出荷の連絡、注文を頂いた御礼など。メールだと履歴が残り、FAXより図面・書類の文字がきれいになる。良いことが多いのだが、入力が面倒だったので私は余り使ってはいなかった。しかし、お客さんに合わせて使っていくと、連絡事の内容を簡潔に分かりやすくまとめる練習になった。
 次にメモ。やらなければいけない事(電話、見積、注文処理等)を書き出し、終われば消込をする。これは以前からしていたが、より徹底するようにした。優先順位をつけ、出来なかったことは、次の日の最優先にし、朝一番に処理する。
 仕事終わりにその日のメールを再チェックし、未処理の内容を書き出すことで取りこぼしが無くなった。メールとメモの処理を併用することで、回答の時間短縮になり、督促の電話が減ってきた。まあ、その都度電話やFAXで仕事が増えていくので完璧に終わることはなかなか無いが、それでもやらなければいけないことが明確に見える事は段取りがよくなってくる。
 最後は新聞を読むこと。会社では日経新聞を取っているが私たち社員は読めない。理由は読む時間が無いだろうからと仕事に関連のある記事を部長がスクラップし、後日それを読む。これはコメントも書いてあるので内容をまとめる勉強になる。ただ私の場合、他の記事にも興味があったので別に個人で産経新聞を昼休憩に読むようにした。本を読むことは禁止されたので新聞にしたがそれがよかった。客先での会話の幅が広がってきた。ある程度の上役になると必ず新聞に目を通しているので、それだけでも共有できることになる。
 三つの事を約半年続けてきたが、概ねいい結果が出てきている。ただ続けるだけでは惰性になる。考えながら、継続することで初めて力になっていくのではないだろうか。日々の生活の中でこういった思考ができる事は、ずっと稽古をしてきたという土台があるからこそだと思っている。
 やってきたことを振り返ることなど以前は殆どしてこなかった。しかし、それをすることによってより深く物事を考えるきっかけにもなった。稽古を続けてきて本当によかった。
 そしてこれからも続けていこうと思う。

◎今年1年間務めた幹部について
 徳島大学 藤田 悠太

 昨年の11月幹部になった。役職は主将。徳大幹部は大久保との2人だけ、文理は松岡の1人だけ。先輩は佐藤さん、後輩は永井。こじんまりしたなかスタートした。いやだなぁという思いしかなかったように思う。正直なところ11月から3月の記憶がほとんどない。それほど気持ちに余裕がなかったのだろうか。記憶しているのは幹部を交代して1か月経たないうちに佐藤さんが稽古にほとんど来られないようになり、稽古が3人程度の日々が続いていた。先生からは新入生いっぱいいれようなと言葉をかけて頂いていた。稽古で何をしていたかなど全くと言っていいほど覚えていない。
 3月の春合宿。私の独断で大洲から小豆島に。幹部としての合宿の準備、運営。個人的な昇段試験。周りが見えていなく鳥大の同期、宿の人に助けられた。
 4月新入生勧誘。例年のやり方では何も変わらないと思い、例年オリエンテーションでしていた舞台上畳なしでの演武をやめた。新歓やツイッターなども新たに取り入れた。功を奏したのか8人入部してくれた。1年生入部後稽古がにぎやかになったが、先輩が少ない分、とにかく大変だった。本田さん、加藤さん、松岡さんなどが度々稽古に顔を出して頂き本当に有難かった。
 7月インカレ。私は参加しなかったので大久保が全てを担ってくれた。
 8月OB会。仕様がわからず、とりあえずスケジュールと店を確保しておこうという感じで決めた日程の1週間前だっただろうか、先輩からOBに一斉メールしたらいいよとのことでOB用のgmailを伝えられた。
 9月三瓶合宿。徳島からは私だけの参加。887kmの楽しい旅だった。小豆島合宿。私が入部してから初めてのOBのいない合宿であった。花火やBBQなどいろいろやらせてもらった。
 10月合同稽古。参加、不参加でごちゃごちゃした。そして幹部交代。
 1年間振り返ってみると以上のような感じだった。先輩にメールを送っても返信が来るのは1日後。相談することに引け目を感じ、また、行事へ参加、不参加の直前の連絡や変更、そういったところでは振り回されたところもあるが、先輩がいない分私の独断と偏見で自由にやらせてもらった。初めてやったことも多かったためか、ぼろぼろになったことが大半であったが、自分自身にとってはいい経験になったとつくづく感じる。また、同期の大久保は私がやると言っていろいろやってくれて、何だかんだ任せっきりになり負担をかけ申し訳なかった。
 幹部としての1年間、本当にたくさんの人に助けられた。この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございました。以上で今年の気流とします。

◎1年を振り返って
 徳島大学 大久保 明日香

 昨年3月、部員5倍増計画に奮闘していたことが、ずっと昔のように感じられます。
 藤井先輩と共にCRF話法、ロジックツリー、SWOT分析を用いて新入部員獲得のために何が必要か、例年にない様々な試みを考えるのは非常に楽しかったです。

 そして迎えた4月、徳島大学合気道部に8人の仲間が加わりました。5倍とまではいきませんでしたが、例年に比べたくさんの後輩が出来、本当に嬉しかったです。しかしながら、私1人に1年生6人という途方もない比率で稽古をする時も多々あり、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 また、今年初めて岡山合同稽古に参加し、初めて出会う方々との稽古や談話等、楽しかったと同時に、全てがとても良い経験になりました。今まで参加しなかったことが本当に悔まれます。来年度の合同稽古には、ぜひ参加しようと思います。

 あっという間に11月になり幹部交代の時期を迎えました。私自身が1年生の時、OBの先輩方はものすごく偉大でした。そのOBに自分もなると思うと、幹部になったときよりも、遥かに上回る緊張と不安で震える思いでした。幹部交代合宿の時坂尾さんから、現役よりも幹部の方が稽古は楽しいよと教えていただきました。これからはOBとして、後輩を見守りながら、稽古の楽しみ方を見つけていこうと思います。

 もうすぐまた新しい後輩たちが入って来ます。
 私も4年生になり配属される研究室によっては、稽古に出られないこともあるかと思われますが、出来る限り稽古に参加し、後輩たちと共に励みたいと思っています。

 内田先生、お弟子さん、先輩方、同期の2人そして後輩たち1年間お世話になりました。
 来年度も、よろしくお願いします。

◎氣流「一年を振り返って」
 徳島大学 永井 宏瑛

 大学2年となり、合氣道を始めてからもう2年が経とうとしています。後輩も加入し、私も先輩となりました。人数が増え、昨年とはまた違った雰囲気で部活動に取り組むことができていたと思います。これから、反省というか簡単に1年を振り返りたいと思います。
 前期、新入生は入ってくれるだろうかという不安をよそに、10人も「入ります」と、入部してくれて現時点でも7人継続してきてくれており、本当にありがたいです。前期の平日は大学の講義の都合上ほぼ稽古に出ることが出来ませんでした。1時間程度であれば出られるときもあったので、1年時での反省が改善できていなかったため改めたいと思います。休日等における稽古では、これまで、先輩に駆け寄り組んでもらいに行くばかりでした。しかし、後輩と組むことが増え、教えてもらうだけだった立場から教える側に回るということで、これまで以上に稽古に取り組む姿勢について考えさせられました。例えば、50-0のように、先生から幾度となく教えて頂いたことがありますが、まだまだ出来ないことが多くあり、そのような自分でもできていない合氣道の技を、理想とする形がどのようであるかを伝えることは、どう教えるべきか苦労しました(今でもだが…)。出来ないことを見せることは不可能なので言葉にするしかありませんが、うまく言葉にできず間違った伝わり方をしたかなと思うことも多々ありました。そのため、普段の稽古ではより、先生や先輩がどのように仰っていたかを思い起こしながら、その形に少しでも近づけるように取り組むようになりました。
 夏季休業中はやはり合宿が印象に残っています。これまで続けてきて一級になり、ようやく袴をはけるようになりました。一級昇級での緊張はこれまで以上のものでした。一人で受けることにはなれましたが、とにかく技数が多い。覚えていた通りにはこなせましたが、あっという間だったというようにはいかずとにかく疲れました。もっとも組んでいただいた受けをやる先輩の方が疲れたはずなので感謝したいです。
 後期はついに幹部交代の時が来ました。2年一人のため、1年生にも役職をお願いすることとはなりましたが、快く引き受けてくれました。後期は稽古のある曜日は講義もなく稽古に出ることができました。しかし、やってしまった…。主将になってから初の師範稽古で寝坊をしてしまいました。実を言うと、10月のOB会でも寝坊してしまっており、二度あることは三度あるとならないように気を引き締めていきたいです。
 終わりに主将としては頼りないだろうとは思いますが、精一杯部に貢献できるようこれから1年間努めていきたいと思います。

◎合気道
 徳島大学 浅成 康汰

 大学に入学してから何か新しいことを始めようと思ったこと、また部活動紹介の先輩の演武がかっこよかったこと、さらに中学生の時に柔道部だったので、同じ武道なら初めてのことでも何とかついていけるだろうと思って、合気道部に入部した。
 合気道も柔道も同じ武道だと思っていたが、実際は違った。柔道は試合で勝敗を決めるが、合気道は決めない。柔道は試合形式の練習があるが、合気道はない。ここで、柔道は武道と言うよりもスポーツになってしまっていることに気付いた。柔道では、よく海外選手の一本を取らない姿勢が問題にされる。ポイントを稼いだ後、制限時間まで逃げるというものだ。日本の武道なら考えられないことだが、武道の精神を理解されないままにスポーツとして世界に広まり、勝敗にこだわることでこのような問題が生まれたのだろう。
 私は日本人として、武道を習う者として、かつての日本人の目指した武道の精神を大切に、これからも合気道を習っていきたい。そのために、日々の練習に一生懸命に取り組んでいきたい。

◎合気道に出会って――考えるということ――
 徳島大学 大久保 隼人

 毎年12月になると、「もう1年が終わってしまうのか、今年も早かったなー」と思いますが、よく考えてみると、早かったと感じているのは4月からの期間であって、1月から3月も含めると、1年は1年らしい長さを持っていたかしらと感じます。しかし、今年はその4月からが足早に過ぎ去ったように思います。その1番の理由は、合気道と出会ったことでしょう。私は少林寺拳法の道院に通っていたのですが、そこでは同年代の拳士がおらず、もっぱら偉大な先輩方と稽古させていただいていました。ある意味で大変恵まれた環境ではありましたが、組手主体を掲げ、彼我ともに成長することを大事にする少林寺拳法において、およそ教わる一方で、自分が相手に何か与えられているのか、という思いもありました。現在、合気道部にはたくさんの同期がいて、ああじゃないこうじゃない、と考えながら稽古をしていますが、これのなんと楽しいことか。合気道に出会え、彼らに出会えたことは、幸せであったと感じています。
 さて、合気道を始めてみて、少林寺拳法との諸々の同異があり、非常に面白く感じます。中でも、撞木という立ち方は興味深いです。少林寺拳法のレの字立ちと比べて、蹴が行いにくく感じますが、師範の動きを見るに、前後の向きを変える動作がわからない点で素晴らしいと感じました。また、身体操作という大きな括りでは、共通して古流の武術の流れを汲むため、「これは聞いたことあるな」とは思うのですが、いかんせん少林寺拳法の道院では、道院長にかけられた感覚や、動きの観察から理解しようとするしかなく、分からずじまいでしたので、師範から身体操作のヒントを様々教えていただき、あれこれ体を動かしてみるのも楽しいです。武道的身体を得るために、考えながら体を動かす楽しみに、すっかり魅了されてしまいました。
 また、内田先生を師とできたこともうれしい限りです。私の少林寺拳法の師も、開祖の技を本物とし、ぶつからない技を教えてくれましたが、内田先生にも同様の心を感じ、気持ちよく技を教えていただけます。加えて、先生には、自分が日本のことすらよく知らなかったことにも気づかされました。教科としての歴史に苦手意識を持ってからというもの、日本の歴史にも疎かったのですが、先生の話を聞いて、自国の歴史を知ることの重要性を感じるようになりました。その土台があって初めて、今の日本について考えることができるというものです。
 師範は、本を読めとおっしゃいます。人は言葉で考えるため、考えを深めるには言葉を知る必要があるからです。合気道の技術を身につけるのにも考えることは必要ですし、学問においては言わずもがなです。ただの葦にはなりたくありませんし、今年の素晴らしい出会いに感謝しつつ、来年も考え考え過ごすことで、また「早1年か」と感じられる1年を過ごしたいと思います。
 乱文にて失礼します。

◎一年を振り返って
 徳島大学 小川 彩

 今年は初めてすることばかりの一年でした。
 合気道部に入ったきっかけは、新入生オリエンテーションの演武でした。軽々と人が投げられたり、固められたりするのを見てかっこいいと思いました。でも、腰投げ以外の技を受けるときは自力で飛んでいるのだと知ったときは驚きました。私は、大学生になったら新しいことに挑戦してみたいと思っていたので、気になっていた合気道部に入部しました。  初めての稽古では、体の変更を見様見真似でしました。その時は体の変更の重要さに気づかず、簡単に感じられました。でも、今ではとても難しく感じます。内田先生や先輩方に教わったことを頭では理解できても、体が応えてくれないからです。また、相手によって技がかからないこともあり、合気道の難しさを実感することもありました。でも、そういうときに、どうしたらできるかを部員みんなで考えたり、稽古したりすることが楽しいです。
 初めての演武を愛媛インカレでしたときは、とても緊張しました。先輩方や他の大学の演武はかっこよくて、私もこんな風になれるのだろうかと思いました。様々な人と合気道をするのは楽しかったし、大学によって技の違いを発見して技がかかったりかからなかったりするのが面白かったです。初めての小豆島合宿は、鳥取大学の皆さんと交流できました。師範稽古では、二人に技をかけたり、正座した状態で隣の人を倒したりして、大勢で稽古する楽しさを覚えました。また、初めて昇級試験を受け、五級を頂いて袴を履いたときはとても嬉しかったです。
 初めは合気道のことをよく知りませんでしたが、この一年でたくさん教わりました。日に日に楽しさが増します。これからも合気道に精進していきたいです。

◎入部1年目に思うこと
 徳島大学 曽我部 萌

 年末に模試監督をしていると、「ちょうど1年前は模試を受ける側だったんだなあ」としみじみ思いました。そう考えるとこの1年はとても長かったような気がしますが、もう大学1年も終わりが見えてきたと思うと早いような気もします。
 入学前の春休み、私はYou Tubeで武道の動画を頻繁に見ていました。というのは、「見かけによらず強い」というのにあこがれており、大学に入ったらなにか武道を始めたいと思っていたからです。そのなかで一番興味を引かれたのが合気道でした。スマホ画面の中で人がいとも簡単に倒されているのを見て、「ほんとにこんな簡単にやられるもんかなあ」と思っていました。そして、サークルオリエンテーションのとき、初めて合気道を生で見ました。動画で見たことがここで学べるんだという期待とともに、徳大合気道部では武器技もできるということを知ってさらに関心が深まりました。その後、入部する気満々で見学に行き、今に至ります。
 初めての師範稽古。私が春休みに抱いていた疑問はすぐにとけました。「ほんとにこんな簡単にやられるもん」でした。内田師範に技をかけていただくと、ふわっとした感覚のあと気がつけば倒されていました。「合気道すごい!」と身をもって知った瞬間です。しかし、これを実践するのは簡単なことではありません。師範から体の動かし方について、答えに限りなく近いヒントをいただくのですが、理屈ではわかっていても理解することと実際の体の動きがイコールでつながらないというのが現状です。それがおもしろくもあり、合気道の奥深さでもあるのだろうなと思いながら稽古を続ける毎日です。
 1年前は受験勉強をしていたと思うとこの1年は長かったと感じますが、合気道部としての活動を振り返ってみると本当にあっという間だったように思います。新歓、小豆島合宿、大学祭での演武、幹部交代などいろいろなことがありました。ときには「ちょっとだるいなあ」と思うこともあったけれど、とても楽しく稽古ができました。丁寧に指導してくださる内田師範、普段の稽古から昇級、幹部の仕事までいろいろなことを教えてくださる先輩方、稽古のときもそれ以外のときも仲良くしてくれる同期のみんなのおかげです。ありがとうございます。そして1年間やってみて、合気道は動画を見ただけではわからない、日本の伝統や人体の不思議を包括しているものだということに気づきました。今後はこれらのことについてもっと理解を深めていきたいです。
 2016年は後輩ができるだろうということもあり、技の基本的な動きをしっかり覚えるのはもちろん、細かい体の動かし方を今以上に意識して稽古に取り組もうと思います。また、合気道の歴史についてまだそれほど詳しくないので、そういった関係の本を読んで知識を増やすことも目標にしたいです。

◎合氣道部に入部して
 徳島大学 竹内 幸熙

 自分は「合氣道」をする前,高校生の時分,剣道部に入つてゐました。と云つても初段もなければ,級もない。更に加へて,その時分まともな試合で勝つたことのない自分でありますので,いへた口ではないかもしれませんが,思ふ所「剣道」と云ふのは不思議なものでありました。
 「剣道」は武道なのか,スポーツなのか。其れは「柔道」にも同じことがよくいはれております。ただ,自分は「道」とつくものは「武道」と思つておりましたから「剣道」は意義なく「武道」でありました。
 「道」と名の付くものは「剣道」「柔道」そして「合氣道」があります。自分は試合形式をもつ前者二つと異にすること,高校までで実際に見たことがなかつたことで興味をもち,実は武器があることに喜び――実は武器を使はぬ合気道を若干軽視してをりました――入部次第でありました。ところが,入部して分かつたことは「武道」とは「武術」であるといふことです。その形,その動きは,柔,剣,杖で通ずるところがあり,骨格・筋肉構造を理解したものであつたからです。あとから知つたのですが,「武道」と「武術」は名前が変はつて,質はあまり変はつてないやうで。
 さうすると,再び「剣道」について疑問が再び沸き上がりました。「武道」が「武術」ならば,やはり「スポーツ」とはその性質を異にします。「武道」は体の動かし方を知ること,「スポーツ」は競技することに重きを持つと思ふからです。それでも,自分は「剣道」はやはり「武道」であると思ひます。否,より形を重んじ,「武道」であるべきだと思ふのであります。
 「剣道」の始まりは形稽古を主体とする稽古の中で竹刀を用ゐて打ち合ふことができるやうにした「撃剣」からといひます。「剣道」は活人剣と言ひ道徳的であり殺人剣たる「剣術」とは違ふと言はれます。然し,古来の「武術」は有事の際は常に死と向かひ合はせの中で生まれ,太平の世となつた江戸時代に於いても行はれてゐました。それは,刀が武士の身分的な支へであると同時に,その使ひ方たる武術が精神的な支へであつたからだと思ひます。しからば,ここに「武術」の役目は技を使ふことであり,そのために体を知ること,そして,自分に向き合ふことであると思ふのであります。
 武道的スポーツの撓競技,現代剣道では薄れてゐたかもしれない「武道」≒「武術」の精神を,この「合氣道」の中で見いだしていきながらこれからも稽古していくつもりであります。

◎行き当たりばったり
 徳島大学 田中 康陽

 真剣に打ち込む。私の理想であり、目標であり、武器でもあります。合気道においては、目標でしょうか。しかし、その合気道の目標とは何か。少し考えました。結論は、「とりあえず四年続けてみよう、悪くても現状維持」です。漠然としています。
 行き当たりばったりと言えばなんとなく話になりそうですが、私は明日の事など考えず生きています。課題も約束事も、覚えていればするだけで、考えることも予測することもしません。なんとなく生活しているのです。さて、合気道はどうでしょうか。学ぶべき先輩も、研究すべき技も、過程で陥る状況も、日々異なります。ではこれも、行き当たりばったりといえるのでしょうか。しっかりと稽古の先を見据えることが出来れば、そうでないことは明白です。では、見据えることが出来なければ駄目なのか。自分では判断がつきません。ただ、一概に良いところがないとは言えません。例えば私の場合、下手な受け身を繰り返していると、無性に楽しくなる時があるのです。兎にも角にも、次はやってやる、 と。しかし、その感情は、特に「次こそは」というのは見方を変えれば先を見ていると言えるかもしれません。やっぱりこの生活は改めるべきか、そう思えた一年であり、合気道でした。

◎編集後記

 1ページ余ったので、編集後記を書くことにしました。
 初めて『氣流』の存在を知り、「合気道に関することについて自由に書いて」と言われたときは、正直どういう風に書くのがいいか、けっこう悩みました。レポートみたいにある程度の形式があるわけでもないし、日記のように脈絡もなく思いつくままに書くわけにもいかないので…
 原稿を書いたり、編集をしたりするにあたって、今年1年を振り返ってみると、合氣道部としての活動だけでもいろいろなことがあったなあとしみじみ思いました。サークルオリエンテーションやインカレ、夏の小豆島合宿、学祭での演武、幹部交代などなど。私たち1年生にとってはすべてが初めての経験であり、それぞれが感じたこともいろいろあったでしょう。2回目、3回目の経験となる先輩方にもまた違った思いがあったと思います。先生方やOBの方も同じでしょう。『氣流』を通して、そのような徳島大学合氣道部にかかわるさまざまな人の思いや考えを知ることができた点はとても有意義であったと思います。
 今回の『氣流』が、自己の反省、ふりかえり、そして合気道に関する新たな気づきの機会になっていれば幸いです。
 最後になりましたが、お忙しいなか寄稿してくださった、内田先生をはじめ先生方、徳島大学OBの筒井さん、本当にありがとうございました。

 『氣流』編集担当



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